【FRANK FRIDAY】
ゆるふわギャング / MARS ICE HOUSE

【FRANK FRIDAY】
ゆるふわギャング / MARS ICE HOUSE

私がツイッターを始めたのは2012年。それ以前はブログが自身の発信の場だった。mixiやmy spaceなどのツールも多用していたが、基本ブログをブックマークして情報を毎日チェックする様な毎日だったと記憶している。ツイッターの登場以降はオイシイニュースがTL上に必ず流れるツイッターに没頭した。そのおかげで長く付き合える多くの友達ができ、田中面舞踏会の様なインターネットの最先端を走っているパーティーにも出会えたことに100%の感謝があります。中でも一番の感謝ポイントはインターネットに転がる多くの音楽を知れた事。2012年までは国内外、様々なブログを追っかけ、ハマれるジャンルをひたすらサーチしながら平行し、ツイッターからの音楽情報を得ることで厚みが増したと思っている。具体的にはCherry BrownKoedawggtrinitytiny1森光光子Kuma the sureshotなどなど沢山います。もちろんその様な出会いは尽きることがない。

今回紹介するゆるふわギャング、Automaticという茨城県土浦市出身のトラックメイカーもそのサーチの延長線上で出会った貴重な人のひとりかもしれない。

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SEEDA & DJ ISSO / CCG13のレビューを書くために情報をサーチしていた時に一番気になったのはChain BloodというデュオのラッパーDudeの存在だった。彼の情報を探っていたらDudeのツイッターアカウントを発見した。その後Ryugo Ishidaの名で活動を広げた人だった。もちろん以前彼のアルバムをフランクフライデーで取り上げ、すでに有名な存在なので知ってる方がほとんどだろう。彼のアルバムをチェックするにあたり一番気になったのがトラックメイカー”Automatic”の存在。トレンドに対するアプローチ、USのビートと遜色のない際立ったサウンドが耳に引っかかったのでサーチを開始したらツイッターアカウントにぶち当たった。覗いてみるとRyugo Ishidaよりもだいぶ年上に感じる感覚があったので一気に親近感が湧いていた。しばらくしてRyugo IshidaとSophieeを軸とした”ゆるふわギャング”というプロジェクトが始動していた。このプロジェクトのアルバムはクラウドファウンディングサイト”CAMPFIRE”で支援を募集しているのだが、ページを覗いてみるとディレクターという立場でAutomaticが内容を説明している。”今回、無料公開した曲「パイレーツ」でも言っている通り、「奪いにきた」という宣戦布告とともに、あなたを「迎えに来た」ので、一緒に旅をしませんか。”と締めくくる一見強気なメッセージもストリーミングでチェックできるEPを聴いて一気に納得。彼が言う”夢を大事にしたい”と言う言葉は自信そのものに感じた。

音源自体もソロ1stアルバムに比べ、スキルアップが著しいRyugo Ishidaのラップ。クリーミーなラップ、ボーカルを聞かせてくれるSophiee。この二人の相性の良さをさらに引き立てるPOPでドリーミーなAutomaticのビートは素晴らしい。
個人的に日本のヒップホップ作品に求めていたノリが詰まっていた。まだ未聴の方は是非。驚かされること間違いないはず。先行MVとして発表されている”Dippin’ Shake”、” FUCKIN CAR “の映像、楽曲の展開は若いMCの二人と先輩格のAutomaticの感性が融合した幅広い年代にリーチする最高の作品となっている。

Automatic インタビュー

■今ではRyugo Ishida、ゆるふわギャングの総合プロデューサー/ディレクターとして表立った活動をされていますが、現在に至るまでの活動、経緯を教えてください。

いわゆる最初のさんピンCAMP世代で茨城だとLTS(LUNCH TIME SPEAX)世代です。RANKER JACKというラップグループとBIG SCOREというクルーでイベント主催をしてきました。

ビートを作りたいけどかっこいいラップやってる人がいない。ライブしたくてもイベントもクラブも当時土浦・つくばにはほとんど無くて、なら自分たちでやっちゃえということがきっかけでした。
20代後半までサラリーを貰いながら音楽活動をしていたのですが、子供ができて音楽は辞めて、地元も離れて単身で京都の某通販印刷会社に転職しました。3年間くらいがんばったんですが元嫁との不仲や15時間労働、1日1000件以上のデータチェック、さらに同僚が過労が原因の事故で亡くなってしまって、挫折して地元に帰ってきたと同時に嫁とも離婚しました。

蓄えをくずしながらニート生活し、半年ほどした時に日々の日課としてMPCを叩くというのが加わってきました。
結婚、ブラック企業、離婚、仲間が出所、逆に別のやつが入所してしまったり。とどめに東日本大震災という流れがあり、自分には家族や仲間に何ができるのだろう?とか自分にとって音楽とは?ということもこの時期よく考えていました。

震災後すぐにイベントを仲間と始めて、DJ U-DRIVEとDRAMATIKSというチームでDJ・ビートメイクを始めました。この時期あたりで、さっきの「出所した仲間」Dear’broというやつがRyugoを連れてきました。彼は当時まだ16、7歳だったと思います。

■Ryugoくんと会った時、初めての印象は?

初めてはあまり覚えていないですが、不良ぽいのに彼女を無下にせずきちんとエスコートする感じはフレッシュでした。いきなり大阪でイベント開催したり、タトゥや鼻ピアスに躊躇もなくて、”YBC”って古着屋店まで土浦で始めちゃって、けどラップも店もイベントも結果がうまく出なかった。やる気とイメージ、行動力があるのにもったいないなあという印象でした。

■Ryugoくんへのラップの指導をされたと伺いましたが、その具体的な方法は?

指導はしていませんが、ボツは出しまくりました。
おそらくボツになった曲は1993、EverydayIsFlyday合わせて100曲ぐらいあるかもしれません。あとはとにかくしゃべったりお互いの好きな音楽を聴かせ合うという、至って普通のことをしています。

■ゆるふわギャングのリリースに関してですが、CAMPFIREでアルバム制作の為のクラウドファウンディングをしようとした経緯は?

ゆるふわギャングは、Sophieeちゃんあってのプロジェクトです。やりたいことが大きいけどハッキリしててRyugoと共通する部分がたくさんあり、作っている音楽とタトゥが雄弁にそれを語っていて、実際話してみて居心地が良かったので一緒にやりたいと思いました。

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クラウドファウンディングについては、前々から音源の売り上げのほとんどが宣伝と流通に持って行かれてしまうことや、著作権利に疑問があって、生活のためにサラリーを貰う、アンダーグラウンドなバイトする。しかもどちらにしても甘い世界ではないので真剣にやらないとダメ。

そうなってくると、音楽に費やせる時間やお金が限られてきてしまいます。アーティストがおもしろいことをしずらい状況だなと思っていたんです。そういうものをぶっ壊すというか、システムが崩壊に向かっているのならば、真剣に新天地への移住を考えてみようというプロジェクトの一環です。

▪︎1stアルバムのアートワークやゆるふわギャングのMV、戦略含め、若い二人の感性だけでは作れない様な作品に感じますが、これはAutomaticさんの意見が反映されてのことですか?

それはあると思います。すべて共同作業だからです。お互いがオペレーターになり、ディレクターになったりという具合です。ゆるふわギャングではSophieeちゃんの感性も存分に入っていますし、僕らの中では誰々の手柄というよりチームの手柄、チームの失敗というような思いが強いのかもしれません。
地元のアーティストや友達も含め、チームでシェアできなきゃ意味がないという意識があります。もちろん土浦も。もっと言えば日本を同時に盛り上げられたらという思いがあります。

■トラックメイカー”Automatic”への質問ですが楽曲はどの様にして制作していますか?

使用機材はMPCルネサンスロジックです。今はミックスダウンまでは自分でやっていますが、ゆくゆくはミックスやプロダクションも腕のいいエンジニアやトラックメイカーにお任せしたいと思っています。煮詰まったらブラントに火をつけてグミ食べて酒飲んで友達としゃべって、すべて風向きにおまかせです。

■Ryugoくん、ゆるふわギャングでの作業において印象深いエピソードを教えてください。

アルバムタイトルにもなっている「Mars Ice House」という火星移住計画が実際にあって、
そのことをリュウゴとソフィちゃんと初めて3人で会った日に聞いて「それだ!いいね」とみんなで笑いました。

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■個人的な印象ですがRyugoくんのアルバムを聴く限り、USの流行をきっちり抑えながらも、00年代のサウスの影響を感じるのですが音楽的な遍歴は?

新川囃子というお祭りのお囃子を中学生までやっていたので”ループ”や”ダンス”が主体の音楽のルーツになったのは間違いありません。90年代は中学生でしたが、Snoopの1stとKriss Crossの2ndのCDをジャケ買いして、高校ではNasやMOBB DEEP、Notorious B.I.G.、DJ Premire、D.I.T.C.、King Giddra、LUNCH TIME SPEAXがアイドルでした。00年代はROCCA FELA、RUFF RYDERS、DIPSET、DR.DRE、50CENT、LUDACRISなどクラブアンセム全般、
空白の数年があって、実はいわゆるサウスを聴くようになったのは10年代に入ってからで、、A$AP ROCKYやLil Bなど南部以外のラッパーの影響が大きいと思います。

■土浦といえばDJならVINYL DIGGER、RAPならBOOM BAP的な東海岸HIPHOPの土壌ってイメージが強いのですが、現在の土浦のシーンはどの様な感じでしょうか?

おっしゃる通り、いわゆるNYスタイルが基本で、僕の年代で言えばレゲエが強くて同世代のサウンドマンはみんなシステムを持ってるという環境でした。00年代に入ると大きいクラブもでき、クラブミュージックが流行りました。一方、となりのつくばではエレクトロもあったり、より「社交場」に特化したクラブになっていった気がします。トラップやサウスがそのシーンに入り込むのは10年代になってからだと思います。

実際、僕は今年に入ってからほとんどクラブに行ってないので確かなことは言えませんが、沈滞ムードではあると思います。しかしアーティストはたくさんいて、音楽自体を応援してくれる土壌はあるので、僕個人は次の波待ち時期というような捉え方をしています。

土浦は小さい街なのにイースト、ウエスト、サウスもレゲエもエレクトロもメインストリームもアンダーグラウンドもプレイヤーがいて楽しいです。

■今後のゆるふわギャングの活動目標、個人活動の予定を教えてください。

全て風向きにおまかせではあるのですが、まずはゆるふわギャングのアルバム。それぞれのソロ、制作会社設立や映画も撮りたいと思っています。個人活動は土浦のBLACK KID、水戸のSAINT MELO & Lil’Manyというアーティストのサポートしています。近々2組とも作品発表予定です。

今後の個人活動まで教えてくれたAutomatic氏の動向は要注目だろう。
ゆるふわギャングのアルバム制作プロジェクトはすでに200%以上の支援を得ているが、作品のクォリティのさらなる向上の手助けになるので気になった方は作品と引き換えに支援をしてみてはどうでしょう?

Text by Sir Y.O.K.O.PoLoGod.